2013年08月12日

8月12日に思うこと


28年前の8月12日18時56分、羽田発大阪伊丹空港行きの日本航空ジャンボジェット機は、524名を乗せたまま御巣鷹山の尾根に墜落し、520名が亡くなりました。

あの日の夜、日本航空123便が行方不明になったとニュースが流れたのを、今も鮮明に覚えています。

どこかで不時着して、全員が無事であるようにと願ったのですが、その願いもむなしく、生存者4名を残し、機長、乗客乗員520人が事故死してしまったんで。

暫くは機体を見つけることもできず、発見されたのは事故から14時間たった、翌日の朝8時半頃でした。

尾翼を失い操縦のきかなくなった機体はダッチロールという、後尾の部分を大きく左右に振りながら不安定に飛行し、多くの乗客はそのため嘔吐などがあったと言われています。

苦しい状態が長く続く中でも、ボイスレコーダーはパイロット達の懸命な努力を伝えていました。本当に最後の最後の瞬間まで、冷静になんとかしようとしていたのです。

そして乗客の中には覚悟を決め、家族に向けて遺書を書き始めた人もいたんです。自分亡き後、どれほど家族の事が気に掛かった事でしょう。

中にはひとり旅の小学生もいたのです。送り出した両親はどんなに悔やんだことか、この心を思うと今でも胸が苦しくなります。

彼らのうちの多くは墜落直後は生存していたと言われています。生存者の証言からもそれが解りましたが、あと10時間発見が早ければもっと助けられた人も多かっただろうと言われていて、本当に残念でなりません。

生き残った4名は、周囲でまだ生きていた人たちが1人また1人と息絶えて行くのを見ていたのです。

そして救助隊が到着した時には真夏蒸し暑い気候の中、死臭や嘔吐物などでものすごい臭気だったと言われています。救助隊はその地獄絵図の様な中で件名に救助(というよりも、遺体の処理が主でした)を行っていたのですが、彼らの中にはその後かなり深刻な心的障害が残ったといいます。

戦争や天災、事故で突然命を奪われた場合、残された家族はその喪失感はいかばかりでしょう。

日々、無事に生きていられるということは、もしかしたら奇蹟に近いことなのかも知れません。志半ばで突然命を絶たれた人達の冥福を祈ると共に、1日1日をしっかり生きなくてはと、思わずには居られません。


posted by くるみ at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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